ランコムについて
「ランコム」というブランドの誕生と繁栄を語るには、創始者アルマン・プティジャン氏を欠かすことはできません。
1935年、著名な調香師フランソワ・コティ氏のもとで経験を積んだ若き調香師アルマン・プティジャンは、5種類の香水と数点のスキンケア製品を持ち、メゾンランコムを創立。
その美しい響きを持つブランドの名「ランコム」は、フランス・ロワール地方のシャトーにちなんで、つけられました。
プティジャン氏はブランド名に自らの名を冠することはありませんでした。
世界中のあらゆる言語で発音しやすい名前を探し、ロワール地方にあるランコム(Lancosme)城にヒントを得、「ランコム(LANCOME)」と名づけます。
それは、世界的なビューティブランドになるというプティジャン氏の自信の表れだったのです。
最初の製品として、彼がこよなく愛するバラなどを用いて作った香水にも「5大陸すべての女性に愛されるように」という願いがこめられ5種類の開発がされました。
1939年に世界大戦が勃発し、化粧品メーカー各社は生産縮小を余儀なくされます。
それは、プティジャン氏の目には大きなチャンスと映りました。
生産が思うようにできないなら、教育に集中しようと「エコール・ランコム」(ランコムスクール)を設立し、高い美の知識と技術を備えたブランドの指導者を多く生み出したのです。
今や世界135ヵ国で女性たちの美を支えているランコム。
現在の成功は、プティジャン氏が望み、計画した通りの結果とも言えるものです。
翌年1936年に、プティジャン氏は
「香水は上着の襟穴に挿す花である。しかし化粧品は私たちが毎日食べるパンである」
という言葉を残しています。
その年、彼は医学博士と科学者の助けを借りて、
“皮膚の自己防御機能を活性化することにより、皮膚の不調を防ぐ”というコンセプトのナイトクリーム「ニュートリックス」を発表。
このコンセプトその後、「ニオゾーム」「アプソリュ」といった数々のシリーズに受け継がれるランコムの
スキンケアの基本理念となりました。
ランコムの高品質の秘密は、そのテクノロジーの圧倒的な独創性にあると言えるでしょう。
科学研究を重ねてランコムがかなえる、すべての女性の夢
「永遠の美の約束」。
皮膚の研究を究めるために国際的な医学界と共同して、リサーチチームを設け、3,300名もの研究者が世界各地の研究所で日々研究を重ねています。
1964年には、繊細な肌を持ち、美意識が高い日本人女性のために、日本に研究所を設立しました。
10年にもわたる研究の結果、日本独自の処方で生まれた美容液「ジェニフィック」をはじめ、
日本人女性の高い感性とお肌に合わせて
最先端のテクノロジーと創造力を製品化すべく、
日夜、研究・開発が行われています。